うつ病日記

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2002.03.18 (月) お通夜

14:00 に目覚まし。目覚ましを消して、ウトウトする・・・。
携帯がなって、ハッとする。母親からだ。目覚ましコールを頼んでおいて良かった。
シャワーを浴び、カメラと革靴をナップザックに詰め込み、礼服を持って家を出る。
げんはたいてい、こういった時にはカメラマンとなることが多い。

お通夜は世田谷区にある 「慈船寺 (じせんじ)」 というお寺で行なわれる。 到着し、礼服に着替え、写真の準備をする。すでにおばあちゃんは安置され、祭壇が飾られていた。立派な祭壇だ。 構図や絞り、ストロボの角度を変えながら、写真を数枚撮っておく。

18:00。お通夜が始まった。住職が読経を始めてまもなく、なぜか涙がこぼれてきた。 亡くなったと聞いた時も、涙は出なかったのに。 いろんなことが思い出された。小さい頃におばあちゃんの家に遊びに行ったこと。 お正月になると親戚一同が集まってみんなでおばあちゃんを囲んで話していたこと。 お年玉をもらい、うれしくて、早速みんなでおもちゃを買いに行ったこと。 それを見て、にこにこしているおばあちゃん。いつも笑っていた。
いつ頃だろう。大きかったはずのおばあちゃんを見て、あれ、こんなに小さかったっけ?と思ったこと。 中学のころだったかな。いつの間にか、背も体格もおばあちゃんより大きくなった自分を、少しだけ大人に思えたっけ。
いつ頃だろう。広くて遊びまわっていたおばあちゃんの家が、こんなに狭かったっけ?と思ったこと。 身長が、部屋と部屋の敷居の高さに近づき、歩くとギシギシと音をたてるようになった階段。 げんが成長するとともに、家もおばちゃんも年をとっていくんだ。そんな風に思ったよな。
つらいことをたくさん経験してきたんだろうな。 戦争を経験し、5 人の子供を立派に育てた。そのうちの 1 人の娘の子供がげんだ。 おばあちゃんがいなければ、げんはこの世に存在しなかったんだ。
焼香をあげ、手を合わせる。席に戻って、また、涙が出てきた。止め処なく出てくる涙。 どうしてこんなに涙が出るんだろう。ハンカチがびしょびしょになっても、涙は止まらなかった。

読経が終わった。住職のお話しをいただいた。

「死」 という字は、「一」 と 「タ」 と 「ヒ」 という文字で構成されている。
「一」 は亡くなった人が横たわっている様子を表す。
「タ」 は亡くなった人が骨となってしまった様子を表す。
「ヒ」 は亡くなった人に対して、手を合わせ、念仏を唱えている様子を表すそうだ。

また、住職が以前に聞いたことを話してくださった。
ある方のお子さんが、中学生の時にビルから飛び降り自殺した。 作家であるそのお父さんは、始め、自分の息子が死んだことが信じられなかった。 警察に行き、自分の目で見ると、確かに自分の子供だ。でも、どうして自殺などしたのだろう。 遺書もない。学校の先生や同級生に聞いてもわからない。原因となる理由は、とうとう見つからなかった。
一周忌を迎える間際、ふと、お子さんに対して、言って聞かせていた言葉を思い出した。「人に迷惑をかけて生きる大人になってはいけない。」 その言葉を聞いたお子さんは、食事の仕度をしてくれるお母さん、食事の片付をしてくれるお母さん、洗濯をしてくれるお母さん。 お母さんに迷惑をかけて生きている。そう思い、結局は自殺を図ったのではないか。そのような結論に達したという。
お父さんは、ある一つの本に出会った。「歎異抄 (たんにしょう)」 という。 浄土真宗の住職であった親鸞 (しんらん) の愛弟子、唯円 (ゆいえん) が、親鸞の言葉を思い出しながら書いた本らしい。 その中のある言葉に引っかかった。「ただ念仏のみぞまことにておはします。」 意味は、「念仏を唱えることのみが真実である。」 だ。 その時になって、お子さんに対して申し訳無いという気持ちになった。今となっては、念仏を唱えてあげることしかできない。
人間は、生きているうちは、他人に迷惑をかけないで生きていくことはできない。
そして、死んでしまったら、残された人間は、念仏を唱えてあげることしかできない。

こんな話だった。これを聞いている間、またも涙が止まらなかった。
一度でも病院にお見舞いに行ってあげていなかったことを、今になって悔やむ。
もう、おばあちゃんには、念仏を唱えてあげることしかできないんだ。

19:00。食事の時間となったが、精神的にボロボロになってしまっていた。坑うつ剤と安定剤を飲んだ。
ジュースを飲み、親戚の写真を撮って回っているうちに、やっと元気になってきた。

20:00。少しずつ親戚が帰っていく。お見送りをしながら、みんなが無事に家に帰れることを考えていた。
着替えをして、お寺をあとにする。おばあちゃん。また明日来るからね。

今日だけ、母の一番上の叔父さんが家に泊まることになった。 お金がないから、自宅まで帰るのが遠くて面倒だから、といっていた。 しかも、うちまでの電車賃も、コンビニでの買い物も一切お金を出さない。
本来なら喪主を務めるべき立場なのに。喪主は次男の叔父さんがやっていた。 60 才間際になっても、フラフラとしていて、お金もためず、今回の葬儀にも一銭もお金を出さないつもりらしい。 自分の実の母親のお葬式なのに?どうしてそんなことができるんだ? げんは、おばあちゃんが入院してからの 8 ヶ月の間、必死になって、もしものためにお金をためてきたのに。 いったいどういう神経しているんだ?

22:00。帰宅。叔父さんは 「お邪魔します。」 を言わなかった。もう腹が立った。
精神的に落ち着かせるため、家計簿をつけることにした。 メール チェック。従弟のホームページの URL を教えてもらったので、少し遊びに行く。 ホームページの作り方について、メールでやり取りを繰り返す。 忘れないうちに、今日のことだけでも日記に書いておこう。

今日もなかなか眠れない。4:00 に寝た。


2002.03.19 (火) 告別式

7:00。目覚ましがなる。止めてまた寝てしまう。
7:30。母親が起こしてくれた。トーストとコーヒーで朝食を済ませる。

9:00 出発。10:30 前には、お寺に着いた。
叔父さんはとうとう、交通費を一銭も出さなかった。そして 「泊めてくれてありがとう。」 も無かった。 世田谷のおばさんの話によると、世田谷の家で着替えた際に荷物を置いていったが、その荷物の下に財布があったらしい。 どうやら確信犯のようだ。全くもって信じられない。

11:30 告別式が始まる。
12:00 最後のお別れだ。額を触るとドライアイスのせいか、とても冷たかった。菊の花を全身に散りばめ、色花を顔の周りにそっとおく。 写真を撮った。ファインダーから覗いたおばあちゃんの最後の姿は、とてもきれいだった。
13:30 火葬場へ到着。途中、げんの会社の目の前を通った。今ごろみんな、忙しく働いているんだろうな。
14:20 火葬が終わった。骨壷に拾骨する。おばあちゃんが、あんなに小さくなってしまった。
15:00 お寺に戻る。環骨のおつとめ、繰り上げ初七日法要を行なう。もう涙はでないと思ったが、やはり泣いてしまった。

住職のお言葉。
人は普通、生死とかいて 「せいし」 と読む。 人間は一つの命として生まれてきて、そして死んでこの世から亡くなると考え、生と死は別々のものと認識している。 しかし仏教の世界では生死とかいて 「しょうじ」 と読む。 「しょうじ」 とは、生と死は表裏一体のものだと説かれている。 生老病死、つまりこの世に生を受け、老い、病気になり、死ぬ。それと同時に極楽浄土で生まれ、輪廻するという考え方だ。 死んで火葬されたら、それは 「骨」 というモノになって終わってしまうわけではなく、あの世への旅立ちである。
「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける 」 意味は 「生きている間はつらいことばかりで際限がなく、放っておけばその海に沈んでしまうが、阿弥陀様が船に引き上げてくれ、往生させてくださるだろう。」 このお寺の名前は 「慈船寺」 というが、その阿弥陀様の船からとって命名された。

16:00 精進落とし (お食事) をとる。お酒には強くないげんだけど、今日はいくら飲んでも酔わなかった。なんでだろうね。
17:00 終了。礼拝者をお送りし、着替える。昨日泊まった叔父さんは、とっとと帰ってしまった。
18:00 世田谷のおばあちゃんの家に、遺骨とともに帰る。

近しい親戚だけで話をした。問題の叔父さんの話題も出た。反面教師として、大事な経験とさせてもらおうと思う。 お金の相談も済ませ、みんなで出前のラーメンを食べた。近くの一心亭というお店だ。 ずいぶんと長い間食べていなかったからか、とても懐かしい味がした。おばあちゃんと一緒に食べたことを思い出した。

いとこ同士で、色んな話をした。こんな機会は滅多に無いからなあ。存分に話したよ。

22:00 終了。従弟の車で近くの駅まで送ってもらった。疲れていたのでありがたかった。
23:30 帰宅。着替えて顔を洗い、PC を立ち上げる。 少しだけ会社のメールを読み、いくつかの大事なメールに返事を出す。そして、明日もお休みさせてもらうようにメールを打った。 どっと疲れが出たからか、どうやら体調を崩したみたいだ。精神的にもかなり揺さぶられた三日間だった。 安定剤を飲み、ホッとする。そして、この大事な大事な三日間の日記を書き始めた。

全部書き終わったのは 4:30 だった。
日記を読み返してきて、また涙がこぼれてきた。
一人、PC の前で手を合わせ、「なんまんだぶ・・・」 と繰り返した。


2002.03.20 (水) お休みします

結局昨晩も眠れず。9:00 に就寝。
21:00 起床。心調は良くない。
ホームページの更新をする。
5:30。昨日初めて会ったお友達を見かけたので声をかけるが、会話が成り立たない。なんで?
6:00 PC をシャットダウン。就寝。


2002.03.21 (木) さようなら

11:00 起床。布団をあげ、掃除機をかける。洗濯を少しする。
13:00 お友達が自宅に。借りていたもの、貸していたものを清算する。
13:30 となり駅の大戸屋で食事。

15:00 新宿に行き、「樹庵 (じゅあん)」 という喫茶店を探す。しかし、地図の場所には女性物の下着のお店しかない。恥ずかしがりながら下着店に入り従業員に尋ねると、樹庵は閉店したそうだ。ここでオフ会を開く予定で、下見を兼ねて張り切って来たので、かなりがっくり。代わりのお店を探すが、どこもいまいちパッとしない。仕方なく駅前の喫茶店に入った。

小一時間ばかりお話しをして、お店を出る。悲しいけど、仕方ないよね。
勉強、応援しています。がんばってください。これからも良いお友達でいてね。
精神的にかなりへこんだので、坑うつ剤と安定剤を 2 錠ずつ服用。

18:00 渋谷で他のお友達と待ち合わせ。MARUHACHI (まるはち) というお店に行く。行きつけ、というほどでもないが、渋谷で飲む時にはよく利用する。宴会で 5 名以上の場合、コース料理を選ぶことができ、日本酒飲み放題をオプションでつけることができる。種類はたくさんそろっており、日本酒好きにはたまらないお店だと思う。今回は二人だけなので、単品でいくつか料理を頼み、飲みながら 2 時間ほど話し込んだ。
20:30 なんとなくそのまま帰る気にもなれず、ボーリングかビリヤードをやろうということになった。たまたま近くにビリヤード場があり、そこに入る。30 分 330 円。まあまあの金額だ。友達はかなりの経験者と自負していたので、勝負にならないかもと思っていたけど。勘が取り戻せないらしく、始めは二人ともへたっぴーだった。しかしゲームを重ねるにつれ、二人ともだんだんと慣れてきて、白熱した戦いとなった。後半は、3 ゲーム差でげんが勝っていたが、最後の追い込みをかけられ、結局ゲーム終了時には、9 対 9 で引き分けという好勝負だった。全身と頭を使うゲームなので、二人とも疲れたが、心地よい疲れだった。久し振りにたくさん遊んだ気がする。かなりストレス発散になった。23:30 お店を出る。おお。3 時間もやっていたのか!ちょっとビックリ。
げんの終電がきわどい時間だったため、慌てて友達と別れ、駅に向かう。今日は突然の呼び出しに付き合ってくれてどうもありがとう。

0:30 幸いにも終電には間に合い、無事帰宅。
メールチェック。すると、会社の同僚から MSN でメッセージが。なんと入院しているという。具合が悪くて点滴をしていると言いながら、メッセンジャーではバリバリと話していた。昼間に寝てしまって、目が覚めてしまっているのだろう。2 時間ほど熱く語った。途中、会社で休日出勤している同僚ともニ窓で話していた。「たまにはこういうのも良いもんだね。」 あまりメッセンジャーを使用していない同僚はこう言っていた。良いもんでしょ?

2:30 掲示板のカキコみに返事を書く。医療費公費負担についての質問だった。げんも少し心配なところだったので、Web で調べてレスを書く。
3:30 日記を書き始める。
5:00 日記終了。やっぱり時間かかるなあ。この日記。大変だけど。でも大切にしていこう。
5:30 から、掲示板の CGI 化対応作業を始める。今まで利用していた掲示板の便利な機能が、有料化してしまうためだ。なので、自作の掲示板を作ってしまうことにする。一通り作業完了。自作掲示板の試験運用を始める。
10:00 洗濯を少しする。
10:30 就寝。


2002.03.22 (金) お友達って大事だね

13:00 に目覚ましをかけるが全く気がつかずに起きれなかった。
14:00 ハッと目を覚ますと、メールが 3 件。やべ!約束の時間はとうに過ぎている!!
今日は、友達が心配してくれて、家まできてくれる約束だったのだ。 友達はそんなことだろうと思い、駅の近くのマックで時間をつぶしていてくれていた。 とりあえず携帯をかけ、シャワーを浴びて、家を出る。コンビニで少し買い物をして、家に帰ってきた。 色々と話を聞いてくれていたんだけど、眠くて眠くて。思わずうたた寝をしてしまった。

20:00 下北沢のタパス&タパスに向かう。げんはいつものカルボナーラ。友達は木のことシソの塩味スパゲッティ。前菜に木の子の温製サラダを頼む。久し振りのカルボナーラを堪能しながらゆっくりと話をした。ゴールデン ウィークに予定している御蔵島のドルフィン スイムのことを話し、友達のスキューバ ダイビングの経験を聞いた。
22:00 お店を出る。さっきまで止んでいた雨がまた降っている。びしょ濡れになりながら駅に向かう。
今日も突然の予定に付き合ってくれて、どうもありがとう。とても大事なお友達です。
本当に、これからも仲良くしてやってください。

23:00 帰宅。メール チェック。HP をチェックし、CGI を少し修正。メッセンジャーで何人かとお話するが、PC の調子が悪く、5 回も落ちた。くっそう。
3:00 日記を書き始める。この日記、意外と好評だということが分かり、ちょっと気合を入れて書いた。
5:00 日記終了。そろそろ寝ようかな・・・。


2002.03.23 (土) だめぇ。

具合悪し。一日中寝てた。
一昨日、昨日と無理して遊んだからかな。でも一人でいるのはいやだったし。仕方ないや。


2002.03.24 (日) ひよこっちリハーサル

2:00 に目が覚める。早朝覚醒だ。ここのところ多い。
4:00 アメリカのお友達とメッセンジャーでお話。時差が 17 時間もあるので、こっちが深夜だとお友達の地域は午前中。 ちょうどいいかもしれない。ちょっとだけ話しこんでしまった。楽しかった。

6:00 リハの準備をする。
8:00 自宅を出発。
9:30 到着。時間に間に合わないと思って駅から会場であるラポールシアターまでタクシーに乗ったんだけど、 全員揃っていなかった。なーんだ。歩いてくれば良かったな。
開場を待って仕込みを始める。音響の仕込みは簡単。MD とサンプラーを調整卓に接続しピン マイクセッティングするだけ。照明は大変だ。立ち位置を決め、サス(サスペンション ライト) という明かりを一つ一つ決めていく。その後、回路を組んで、ホリ (ホリゾント ライト) の色を決めていく。手間のかかる仕事だ。
10:30 リハーサル開始。リハについて一応簡単に説明しておく。勘違いされやすいんだけど、リハーサルは全体の流れを通しておこなうものではない。キャスト、舞台監督、照明、音響、その他スタッフの、きっかけを一つ一つ確認していく作業だ。わからないことがあったら、その都度止めて、全員で確認していく。もう一つ似たような稽古があって、それはゲネプロという。ゲネプロとはゲネラルプローベの略だ。これはキャストおよびスタッフ全員で行なう最後の総稽古で、本番通りに流れを通して進めていく。何か失敗や問題が発生した場合でも、本番ではどのように対応するのかを、各スタッフが考えながら行う。

13:00 午前のリハ終了。40 分の昼食休憩の後、午後のリハに入る。
うーん。なんとなく体がだるいぞ。
アモキサン (坑うつ剤) を大量に飲んで、何とかしのぐことにする。

16:45 バラシ&撤収。バラシとは、後片付けのこと。やっぱり照明のバラシが一番大変だ。音響は調整卓からケーブルを抜くだけ。簡単だなあ。そのぶん、音響は事前準備が大変なんだけどね。
17:00 スタッフみんなで打ち合わせに行くことに。でもげんはなんだか本格的に体調がおかしくなってきたので帰ることにした。確認したい点は沢山あるけど、それはまた次の機会にしよう。

19:00 帰宅する。PC の調子が悪いので再セットアップすることにした。別のパーティションを切りOS と必要なアプリケーションをインストールしていく。調子は良さそうだ。
2:00 就寝。


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